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またお見合いの話が来たんですよと彼は言った。
「断るのに理由が必要なのが困ります。誰か相手がいるのかとか」
彼にそんな人はいない。彼はあらゆる種類のフィジカルな接触を好まない。特定の他人を精神的に強く求めることもない。
でもそれは多くの人に理解されない。特に、お見合い写真を持ってくる上司や親戚には。
彼らは善意に満ちている。彼らは彼を褒める。良い仕事をしているね、思慮深いし、性格も穏やかだし、顔立ちだってきれいだ、どこのお嬢さんも気に入るだろう、いつまでも独りでいるのはもったいないよ。
「だから僕は嘘をつかなきゃいけない。主義として結婚はしません、というふうに」
そして彼は相手にお説教される。それは成熟した考え方ではない、今は良くても老後がひどく寂しいはずだ、家庭はいいものだよ、人は支え合って生きるべきなんだ。

彼は冷血な人間ではない。他者に関心がないのではないし、情愛を知らないわけでもない。彼には彼の友情や愛着があり、それを感じる相手によいことをしたいと思っている。実際にしてもいる。
でも恋はしない。誰かと同居することもない。同じ部屋に他人がいると苦痛を感じる。握手も嫌いだ。それが必要なときにはする。そしてしばらく具合が悪くなる。
「とてもいやな感じがするんですよ。とても」
彼は大学生の時分、それが悪いことだと思って人並みになろうと努力をした。ひどくつらかった。
「そういうのは不毛です。だって僕は今、何も悪いことをしていない。自分が不自然だとも邪悪だとも思わない。僕は間違っていますか?」
その言葉を言いたい相手に言うことを、彼は許されていない。それを主張したければ、相手に奇矯な人間だと思われる危険性を引き受け、数多くの誤解を引き受けなければならない。
だから彼は黙っている。
彼は他人から『正しい人生』を強要されるたびに少し弱り、自分がその正しさに適合しないことは不自然でも邪悪でもないことに、誰かの明確な同意を必要とする。

もちろん、支え合って生きる人々は美しい。家庭はいいものだろう。長年連れ添った伴侶や子や孫と過ごす老後は素敵だろう。その関係性を作り上げることは一つの成熟だろう。
だからといってどうして、そうではないものは醜く、良くないもので、ひどく寂しくて、未成熟だということになるのか。

熱烈に愛しあうことが素晴らしいなら、そのような愛を持たないことは罪悪か。子育てが尊いおこないなら、産まないことは卑しい逃避か。いつくしみあうのが正しい親子の姿なら、どんな親/子が相手でも愛情を持ち続けなければ人として間違っているのか。

そんなはずはない。

そんなはずはないんですと私は言う。
「あなたが間違っているはずがない。幸福な家庭は素晴らしいです。でもそれを作らない人を非難するのは素晴らしくないです。人にはそれぞれの性質と事情があるんです。自分の感じる正しさが世界中の正しさだと思っている連中の台詞なんか、心に入れてやる必要ないです。ファックオフです」
私が言いつのると、彼はひっそりと笑った。私は自分が嘘をついていることを知っていた。特定の他者の言葉を心から完全に排除することなんてできない。

「お見合い写真なんてすぐ来なくなりますよ。だって私たちは年をとるんですから。おじいさんやおばあさんになるんですから。そしたら誰もああしろこうしろって言いません。言われたら聞こえないふりをすればいいんです」
耄碌したふりというのもいいですねと彼は言った。私はそうですそうですと答えた。
「つまんないやつらに寂しいだろって言わせておくのも癪だから、年とったら似たような人で集まって住めばいいんです。家族がいても同じように感じている人はいます。つまんないこと言うやつは入れてやらないんです。気持ちのいい人たちばっかりご近所にいるようにするんです。お金ためてそうしましょう、たくさん働いて、そうしましょう」
私がそう言うと彼は笑った。

すぐ年をとるなんて嘘だ。それに老人なら他者の強制する『正しさ』から自由になれるというのも嘘だ。
でも私は彼と自分自身のためにそのような嘘を必要とした。ファンタジィとしての老後。
彼はその後、「共同住宅のために健康に気をつけて長生きすることにしました」というメールをくれた。場所や建物の好みも書いてあった。彼もまた、私と彼自身のために、嘘をついてくれたのだ。